レディ・プレイヤー1

※LINE BLOG に置いていた過去記事 (2018/09/21) を、同サービス終了のため引っ越し。

2018/08/23、Amazon Prime Video で視聴。

近未来。VRMMOで様々なゲームを組み込んだ「オアシス」が大流行していたが、開発者が死亡。ゲーム内の謎を解いて最初にゴールした人物に運営権を譲渡するというメッセージが遺されていたため、世界中のゲーマーや周辺企業が謎解きに殺到することに。主人公の青年ウェイドも、貧しい生活から抜け出すため、凄腕プレイヤー「パーシヴァル」として仲間とともに挑戦するのだった。

ゲームやアニメのネタを散りばめた作品。それも大量に散りばめられているので、気付けないのも多い。僕はナイトライダー大好きなのに、「冒頭のレースシーンで主人公が載っているデロリアンに、K.I.T.T.のフラッシャーが付けられている」ということに、Webで見るまで気付けなかった。

スピルバーグ作品の楽しみのひとつって、CGをうまく使って僕を驚かせてくれることで、それは例えば『ジュラシックパーク』での恐竜の自然さがそうなんだけど、今作でもCGと実写のキャラが共演するシーンが印象に残った。CGだけであればよくある、カメラが壁とか無視してぐるーっと回り込むやつを、実写とCGが混ざった絵でやってた(と思う)。まぁ、CGの量だけで言えば、そもそも「オアシス」内のシーンはフルCGなんだけど、それ自体は今では珍しくないので。

終盤でゴジラガンダムが戦うシーンが話題になってたけど、これアメリカの人はどういう感情で見てるんだろう。向こうの流行がわからないからよくわからない。聞くところによれば、そもそも原作者が日本の作品大好きで、原作小説ではゴジラウルトラマンになっていたところ、映画化の際は円谷プロウルトラマンの海外での権利について係争中だったのでガンダムになったらしい。だから原作通りのシーンではあるんだろうけど、ゴジラなりウルトラマンなりガンダムなりって、「何これ」とはならないのかな。それこそ日本でのナイトライダーが、当時のアメリカドラマを知ってる人なら懐かしめるみたいな感じなのかな?

最後のシーンでは、主人公に美人の彼女ができてイチャイチャしている。「オアシス」に休みの日も作ったりして、つまり「現実も大事にしましょう」的な教訓。個人的にはこのタイプの落とし方はもういいよ飽きたと思ってしまう。僕もMMORPGをそこそこやってたけど、こういう「仮想世界」って言われるようなやつって、やればやるほど、自分が「仮想世界」にいるわけじゃなくて、他のプレイヤーキャラクターも現実の人間が動かしているという認識の方が強くなっていくと思うんだよね。外から見てる人たちが思っているほど、プレイヤーたちは現実と仮想をごっちゃにしていない。これが例えば、ゲームというひとつの世界に閉じこもるのよくないよ言う教訓ならまだわかるけど、だとしたら、現実世界で彼女ができてよかったねという終わり方にはならないはずなので。